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映画「月はどっちに出ている」で 賞を総なめにした崔洋一監督 渋谷のビルの一角で 次回の映画構想を練っている |
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自分が何者であるのかを 知りたいという根本的なもの |
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気配り細やかな繊細な人 渋谷駅周辺は、道玄坂や原宿、青山方面の雑踏の賑わいに比べ、246を越えた代官山方面は突然閑静なフィス街となる。 渋谷駅からほんの五分ほどの距離なのに、マンション八階にある崔洋一監督の事務所は静けさに包まれている。入り口に 現れた崔さんは、テレビで良く拝見する強面の論客といった風貌というよりも、気配りの細やかな繊細な人に見える。 大島渚監督の映画「御法度」に近藤勇役で登場した迫力満点の崔さんを覚えていれば、少しはビビるというものだけど、 飾り気はまったくなしで、私の発するどんな質問にもすらすらと小気味良いテンポで答えてくれる。 「僕の場合は、どこにも隠れ家と呼べるような場所はなくて、ここは事務所なんですけど、居心地がいいので、隠れ家と 呼べるかなと思っています」 相棒の脚本家・鄭義信氏が韓国に出かけていて不在のせいもあるのだろうが、明るい窓ガラスからうららかな陽が差し込み、 時折の電話で静寂が破られる以外は映画の構想を練るのに実に良い空間と思えてしまう。 人間存在に触れる通奏低音と笑いで叩きのめす溢れるパワー 映画「月はどっちに出ている」は、崔監督の名前をいっぺんに世に知らしめる作品となった。 「あの映画があまりにも有名になってしまったんで、それがデビュー作だと勘違いしている人が沢山いますけど、実はその 前に随分と撮っているんですね」 31歳でデビューして、テレビ映画やVシネマ、それに劇場用の映画を十五、六本監督。映画「月はどっちに出ている」は、 原作者の了解を得てから十二年、シナリオを一年半かけて十六稿も書き直すという考え抜いたものだった。 在日朝鮮人の監督が在日朝鮮人の世界、それも普通の人々の暮らし振りを描いて、日本映画に衝撃をもたらした。 「あらゆる意味で、日本映画が描いてこなかった映画だったのは間違いがないと思います。それが観客にとっては新鮮だった のではないでしょうか」 それは人間存在に触れる、どうしようもないほどの切実さとやるせなさを通奏低音としながらも、すべてを笑いで叩きのめす というパワー溢れる作品となっている。国籍を越えたスカッとするカタルシスがあり、本音の部分で観客の琴線を唸らせたのだ。 「それまでの在日朝鮮人、韓国人の日本映画での描かれ方というのは、清く貧しく美しくか、虚無的でアナーキーなヤクザで あったりという、すべてステレオタイプされたものから抜け出せなかった。そういう意味では、記念すべき作品であるのは間違い がないと思います」 掟破りと言われたけど映画は面白ければいい ちゃらんぽらんで爽やかなタクシードライバー役の主人公に岸谷五郎、その恋人役にフィリピンからの出稼ぎ女性で可憐でしたたかな ルビー・モレノ。彼女の舌足らずな大阪弁がまたドライな感覚を浮き上がらせて見事にはまっていた。それは外国人問題を正面から扱う 肩の凝る社会派映画でも、偏見や差別と闘う映画でもない。しかし映画の中とはいえ、登場人物の日本人に「忠さん(主人公の名前) は好きだけど、朝鮮人は嫌いだ」なんて表現を何回も言わせるなんて驚きであった。 それを可能にした一つには崔さんの母が日本人で父が朝鮮人というダブルの血があると思われる。 「僕にとってはそんなに特別なものではなかったんですけど、そういう意味では掟破りと言われたりもしました。 映画は面白ければいい、だれが撮っても構わないもんだと僕は思っています。たまさかそれが僕であったということです」 |
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若い人はどんどん海外に出て欲しい 崔さんの話を聞いていると、失礼かもしれないが、まったく日本人の感覚と同じという気がしてくる。育った環境というのは、 それほどにも大きいということだろうか。「そうだと思います。僕は良く言うんですけど、在日韓国人、朝鮮人が六十万人いる とするならば、韓国系、朝鮮系と二分する分け方もあるけど、そうではなくてそれぞれが一人ずつ六十万人分の考え方と生活が あると僕は捕らえています。それが僕の根本ですね」 日韓、日朝の歴史は簡単に総括できるものではないかもしれないが、問題を解決していくのにはこれからの若い人に期待したい と崔さんは言う。 「何でもいいから若い人には韓国や朝鮮に行って欲しい。友好親善だろうと、ビジネスだろうと、物見遊山であっても、 僕は何でもいいっていってるんです。お互いに知らなかった価値観が出会うことによって、初めて異文化に接触することによって 世の中の広さと出会うわけですから」 国籍にしばられるのではなくただの男、映画監督として生きたい 崔さんは、1年ばかり韓国留学をしたことがある。それを特集したテレビの中で「僕は国籍にしばられるのではなく、ただの男と して、映画監督として生きたい」といった発言をしている。「それは今でもまったく変わりません。海外から見れば、日本人の監督 であろうが在日の監督であろうが、アジアの監督の一人に過ぎません。 国籍に帰属するというよりも、自己への帰属を強く意識しています。自分の拠って立つところを見定めるということですから」 最後に、「月はどっちに出ている」で一躍有名になって何が最も変わりましたかという質問をしてみた。 「人生観が大きく変わったということはないですね。それ以前に金銭的な苦しみを三〜四年していましたので、当たって借金を全部 返せたその後で税金がドバーッと来て、それを払うためにまた借金をしたという特筆すべき作品ではありますけど」 映画の醍醐味については、「映画を作ってて何が嬉しいかって、やっぱり大勢の観客に見てもらえるのが一番嬉しいわけですね。 映画を作りたいという創作意欲というのは、自分が何者であるかを知りたいという根本的なものがあると思うんです。 それが生きていく上でのテーマとしてあるわけです」 将来のいつの日にか、済州島での虐殺事件を映画化したいという。まだ歴史的な評価が定まっていないために、難問が山積していると いうことだが、その時には多くの国から資金を集めて実現したいそうである。 |
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文と写真 柴野利彦 |
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【崔洋一】(さい・よういち) 昭和 24年長野県生まれ。大島渚「愛のコリーダ」などのチーフ助監督を務め、「十階のモスキート」で監督デビュー。毎日映画コンクール新人賞、ヨコハマ映画祭監督賞を受賞。他に「性的犯罪」「友よ、静かに瞑れ」「黒いドレスの女」「マークスの山」「豚の報い」、平成五年度の映画賞を総なめにした「月はどっちに出ている」などの監督作品がある。 |