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◎登山家/田部井淳子さん |
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女性として世界で初めて エベレスト、七大陸最高峰に登頂。 世界各国の最高峰登頂も30カ国に達し 「体力の続く限り続けたい」と 還暦を迎えた今も元気そのもの。 |
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愚痴が少なくなり、生きていることに感謝している。 |
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海外の氷の山にいると日本の緑の山が恋しくなる 田部井さんが一九八二年に入手した「沼尻高原ロッジ」は、福島県のJR猪苗代駅から車で約二十五分の沼尻スキー場の中にある。 スキー場の斜面に接して建てられている高原ロッジは、スイスやカナダで見られる建物に似て、どこか外国の雰囲気が漂っている。 気さくで終始笑顔で対応してくれた田部井さんは、背丈一五二センチと思ったより小柄。 「長い間、海外の山に登っていると、早く帰って高原ロッジの温泉に浸かりたいなあ、と思ったりします。 氷の山ばかり見ていると、日本の緑の山がすごく恋しくなるんですね」 自然に囲まれたロッジ周辺では、山菜がいっぱい採れるという。 「テンプラにしたり、おひたしにしたり、ゴマ和えにしたり、そういう意味では心底ほっとする場所です。 花でいっぱいの生まれ故郷の三春町もすぐ傍、父母のお墓参りもすぐにできます」 意外なことに子供の頃は虚弱体質だった 田部井さんが生まれ育った三春町は、梅と桃と桜が同時に咲くことからつけられた小さな城下町。 意外なのは、子供の頃は扁桃腺持ちで、「よく四〇度以上の高熱を出してはひきつけを起こしたり、肺炎になったり、 肋膜炎になったり、うわごとをずっと言い続けたり、学校はしょっちゅう休みました」というほどの虚弱体質だったこと。 「駆けっこも跳び箱も逆上がりもできずに劣等感の固まりでした」 小学四年生の時に転機が訪れた。担任の渡辺先生が那須連峰の茶臼岳と旭岳の登山に連れて行ってくれたのだ。 「どんなにゆっくりでもいい。自分が歩けば、みんなと同じように頂上に着ける。辛くても誰も代わってはくれない」と励まし、 勇気づけてくれたのだが、それが後の世界的なクライマー誕生の第一歩となるとは……。 「本当に渡辺先生との出会いには、感謝しています。 三春町に住んでいらっしゃいますので、お墓参りの帰りには必ず、毎年のように伺っています」 女性の時代を切り開いたパイオニアへの強い風当たり 東京の大学で寮に入り、規則に縛られながらの大部屋の六人生活。 “神経性急性胃炎”を患い、寮を飛び出すと 「東京にも山があったんだ」と故郷を思い出させる奥多摩の山々を登り始め、本格的な登山が始まった。 一九七五年、女性だけで登頂を目指した「エベレスト日本女子登山隊」の副隊長兼登攀隊長として、 世界最高峰8848メートルのエベレストの登頂に成功。 「マスコミは誰が登ったのか? どうしても個人名を聞きたがるんですけど、私は日本女子登山隊は成功しましたといったんですね。 みんなの力があってこそ登れたのであって、一人で登ったのではないんだって。誰と聞かれるのはものすごく辛いところです」 日本に帰国すると一躍時の人として、歓迎のラッシュにみまわれた。 「私は山に登ってきただけで、他に何かをしたわけではないのに」と本人はいたって謙虚。 しかしパイオニアへの風当たりは強かった。 「子供を置いてエベレストに行くなんて非情の母だとか、何ていう女がこの世にいるんだ、 女だけで登れるわけがないとか言ってたくせに、成功して帰ってきたらこれまで非難してきた人たちがコロっと掌を返したように、 よく頑張ったねとか、オレたち応援していたよとか」。 |
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還暦間近に8000メートル峰に登る エベレスト登頂成功から帰国後は、田部井さんは「一介の主婦」を通していた。 しかし、一九九二年には、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる。 「登っている間にいつの間にかということであって、最初から七大陸をやるぞっていう気持ちはありませんでした」 もしも最初から狙っていたのであれば、エベレスト登頂から十七年もかけはしなかったと思われる。 「七大陸登頂オメデトウ、なんて言われたりすると、背中から汗が吹き出すような感じになります」 しかしエベレストを皮切りに、八十一年にはシシャパンマ(中国)、 五十七歳になった九十六年にはチョー・オユー(中国)の登頂に成功と八千メートル級を三つも登っている。 さらに各国の最高峰に登るという夢も追い続け、今年の三月にはメキシコのオリサバに登って、全部で三十カ国の最高峰に登頂している。 「国連に加盟している国は約百八十カ国。その中でまだたったの三十カ国しか登ってないんですよ。 各国の最高峰というと情報が収集し易いんですね。そこに行くと、ガイドの人が他にもいい山があるよと教えてくれて、広がっていきます」 意外! 不眠症で神経質人と会うことが最も苦手 これまで何の障害もなく登山を続けてきたかのような田部井さんだが、実はエベレストでも天山山脈のトムールでも雪崩に遭遇している。 トムールでは、五〜六百mも流され、死に直面する体験をした。 「あれはやはり、価値観がうんと変わったなと思うんですね。夜眠れなかったり、目が痛かったり、肩が凝ったり、 満員電車で不愉快な思いをしたり、借金や人間関係などでいろいろと悩みがあっても、これは生きている証拠なんだと思い直せるようになりました。 前向きに生きているから味わえる悩みなんだと、うんと愚痴が少なくなりました。今では生かさせていただいているという感じがします」 登山家としてだけでなく、何でもやってみたいという田部井さんだが、妻であり母であり、 「お琴や和太鼓の練習をしたり、謡曲もやってみたい。子供も生んで育ててみたかったし、生きている時間は限られているので、 これからは山に登っても高山植物の写真を撮ったり、体力に応じたことをやってみたいですね」と、パワフルそのもの。 意外だったのは、「私、不眠症なんです。寝ているんでしょうけど、熟睡感がない。そして神経質なんです」。 さらに一番苦手なのが、「人と会うこと。相手に不愉快な思いをさせてはいけないと思うと、気を使い過ぎちゃうんですね」と、 気さくで陽気な分だけ、人にはそれが伝わらないようである。 最近では環境問題と取り組む活動を始めている。 世界の山々を美しくしようという「ヒマラヤ・アドベンチャー・トラスト(通称HAT‐J)」の日本代表となって、地道な活動を行い、 海外からも高い評価を受けている。 田部井さんからは、極限の厳しさと接してきた人間にしか持てないような優しさが滲み溢れているように感じられた。 |
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文と写真 柴野利彦 |
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【田部井淳子】(たべいじゅんこ)昭和14年福島県生まれ。 昭和女子大英文学科卒業。一九七五年、エベレスト日本女子登山隊の一員として女性世界初の登頂に成功。九二年、女性初の世界7大陸最高峰登頂。今年三月には、各国最高峰三〇番目となるメキシコの山に登る。最近は、山岳環境保護団体の代表として奔走中。著書に「エベレストママさん」(山と渓谷社)、「エプロンはずして夢の山」、「さわやかに山へ」(東京新聞出版局)他がある。 |