◎詩人/谷川俊太郎さん

五十年もの間、詩を書き続け、日本の第一線で活躍してきた谷川俊太郎さん。透明感あふれる詩には、人生の機微に触れる含蓄と懐かしさが潜んでいる。一人っ子だったせいで人間関係が希薄だったという谷川さんは、いつも宇宙の中の自分を考え、それが二十一歳の時の処女詩集「二十億光年の孤独」に結実。「結婚を機に地球に降りてきた」と冗談めかす谷川さんの幼少の頃からの故郷が、北軽井沢の「谷川山荘」であった。そこで詩作に耽り、三年前から詩作を止めたという谷川さんを訪ねてみた。



熊も狐も狸も出る
北軽井沢の「谷川山荘」



「谷川山荘」のある北軽井沢は、今だに白い噴煙を上げる浅間山の北麓に位置している。江戸時代に土石流に呑み込まれて、日本のポンペイと呼ばれる鎌原ともさほど離れていない距離にある。鬱蒼とした森の中、カラマツ特有の匂いが漂い、カッコウの澄んだ鳴き声が下界から運んできた塵芥を振り払うように響き渡っている。そんな人里離れた場所に「谷川山荘」はあり、取材とはいえ、谷川さんを懐深く抱いてきた場所を訪ねられたという至福を味わった。谷川さんは、「僕は赤ん坊の頃から戦争中を除いて毎夏来ていたので、ここの方が故郷みたいな感じがあるんですね」と愛着を話してくれた。戦前は草軽鉄道が軽井沢から浅間山の脇を抜けて、北軽井沢へと人を運んでいた。今ではそれを知っている人すら多くはいない。
「トロッコに毛が生えたようなもので、一時間半以上も山の中を曲がりくねって、しかもすごくゆっくりしていたので、途中で飛び降りて花を摘んで再び飛び乗れるような電車でした」と谷川さんは説明し、部屋の中から可愛いブリキの玩具でできたような草軽鉄道の汽車の写真を持ってきて、見せてくれた。
谷川山荘の周辺は、今でも「熊もでます。狐、狸なんかもいっぱいいますよ。この辺の熊はトウモロコシの食べ頃を知っていて、何回か偵察に来た後でその時期が来ると、一斉に食べちゃうそうです。農家の方は凄く利口だといっています」。

高原の清涼な空気、葉を揺らしながら通り過ぎる風の音、突然の驟雨、ウグイスやカッコウの声を聴きながら詩作に耽るのにはまたとない理想的な環境と思われる。
「そうですね、確かにここでは随分と詩を書いてきました。電話やファクスはありますけど、外界からの情報を断ち切れますので自分の時間が増えます。それが凄くいいですね。だけど、ここでなければ書けないということではないんですね。都会の雑踏も好きです」。実は十年前に谷川さんをインタビューしたことがあり、その時、勤め人のようにいつかは詩人も定年退職したいものだということを洩らしていた。そして三年前から詩を書くことを本当に止めてしまった。「私は詩に人生を犯されてしまった」といった発言もしている。
「それは事実なんですね。詩を書いて五十年、何を見るにしても生活者の視点ではなくて、詩人の視点で見てしまっている。それでは実際に人生を生きていることにはならないのではないかと…」。その代わりに、息子の賢作さんのバンドと共に詩の朗読を積極的に行うようになった。日本各地を年に三十回ばかり廻っているそうである。
「一人で机に向かって書いているのと違って、目の前にお客さんがいるわけでしょ。反応があって、開放感があるんですよ。実に健康的だし」。最後に谷川さんは、意外なことを話してくれた。「僕は結婚生活がうまくいかなくなった時は、車の中が隠れ家でした。車というのは本当に一人になれる空間でしょ。女房と喧嘩をすると、車に乗って外へ出ていったりしました。周囲と接触を断ち切って、自分だけの空間が作れる。だから別に山奥に行かなくても、都会のど真ん中にいても隠れていられるんだという感じはあります」。

文と写真 柴野利彦

谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう)

詩人。1931年東京生まれ。父は哲学者の谷川徹三。幼少より夏を北軽井沢の山荘で過ごし、感受性形成の重要な役割を担った。「20億光年の孤独」で衝撃的なデビューを果たし、以後も現代詩の最先端を歩き続けて幅広い読者層から支持を受けている。詩集の他、スヌーピーの翻訳、エッセイなど多数の著書がある。レコード大賞作詞賞や萩原朔太郎賞など受賞も数多い。

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