エッセイスト/国際ラリーライダー
◎山村レイコさん

長年苦しんだ花粉症が
引っ越して二週間で治った
朝の散歩は自然の音や
小鳥たちの歌声に包まれて



富士山の麓、朝霧高原での自分と向き合うフィールド・ライフ






霧深い朝霧高原はころころ変わる山の天気
山村レイコさんが住んでいる富士山の麓、朝霧高原へのアプローチはなかなかドラマチックである。東京から河口湖のインターまでは中央高速を飛ばして約1時間、朝方までぐずついていた天気がしだいに回復、雲間から太陽が顔を出すとたちまち夏の暑さとなる。河口湖で下りて本栖湖方面へと国道を走り、途中で富士鳴沢線という開拓道路へと左折。開拓道路の上にだけ青空が広がる鬱蒼とした樹海の懐奥深くへと前進していく。やがて南アルプスが眺望できるビューポイントの峠に差しかかると、少しイヤな予感に襲われる。車で走ってきた方向は晴れているのに、これから向かおうとしている地形には薄暗い霧が覆い被さっているのである。
 一週間ほど前から天気予報と睨めっこをして、取材日は山梨県も静岡県も晴れるという日を選んだのに、峠を下るにつれてますます霧が濃くなり、しだいに米粒大の滴に変わってすっかり雨模様となってしまった。雨に混じって幻想的な霧が広い緑の牧草地の上をしずしずと歩き回っている。そんなひどい天気の中でも朝霧高原が魅力的な場所であることが推測できる。ここと匹敵する景色は北海道ぐらいなものだろう。
 やっと山村レイコさんの住居に辿り着いてお天気の話をすると、標高一千メートル近くだとかで、「峠を境にまったく天気が変わるんですよ。ここは山のお天気ですから」とオートバイの修理をしていた御主人から気の毒そうに言われてしまった。

半年で千の物件を見て回る
これまで二度会っている山村レイコさんだが、相変わらず夏が似合いそうに爽やかな顔をしている。彼女が、東京の杉並区から朝霧高原に引っ越したのは、健康上の理由が大きいらしい。三十歳を過ぎてから十五ぐらいの病気にかかり、いつも花粉症のような症状に悩まされていたというのである。
「今考えると、シックハウス症候群みたいなものじゃないかと思うんですよ。新築のマンションで、絨毯に寝っ転がると咳が出てくるし、幾ら掃除をしてもダメ。夏にクーラーを入れると、どんなに手入れをしても花粉症みたいに鼻がぐずぐずになっちゃう。外をオートバイで走る時は、夏は地獄。もう呼吸ができないといった感じで、花粉症のマスクをして走っていたんですよ」。
 杉並は東京の中ではまだ緑が多い方だが、仕事で地方に出かけると急に体調が良くなり、「都会の暮らしが自分には合わないのではないか」と思うようになったと打ち明ける。
「最初は運動をして体を治そうと思って、テニスクラブに週に三回通ったり、山登りにガンガン行ったり、動き回ってみたんですけど、何をしてもひどくならない代わりに良くもならなくて、五年間ぐらい辛いのが続いたんですよ。それでどこか良いところがないかと思って、半年間ぐらい方々を探し回ったんですね。長野県の八ツケ岳や小淵沢、清里、穂高、安曇野、伊豆や鎌倉、小田原、御殿場、山中湖、河口湖、上野原や大月など千軒ぐらい見て回って、最後に穴場みたいなこの場所に辿り着いたんです」。



    

冬は零下二十度の厳しい寒さ
農協から借りた敷地面積は約千坪。といっても周囲は牧草地に囲まれ、明確な境界があるわけではない。霧が切れた時の牧草地は丘の向こうまで続き、どこまでも自分の家の庭の続きに思える。東の方角に富士山がドカーンと見上げるように迫っているらしいのだが、いつまで経っても濃い霧に阻まれて姿を見せてはくれない。
「代々ずっとここは牧場だったところで、子牛の育成場だったり、全国開拓農業連盟の事務所だったり、酪農関係で使われてきたところです」。
敷地内には、寝室とダイニングに使われている長さ十一メートルのトレーラーハウスがあり、隣接する母屋には、二十畳ほどの部屋が二つ、オートバイ工場と事務所兼仕事部屋として使用されている。その他に巨大な牛舎や小牛舎、バイク置き場のコンテナや雪かきの重機、4輪駆動がおいてある大きな物置が幾つもあって、維持するだけでも大変そうである。四年前に越してきた時は荒れほうだいで、自分たちの力でゼロから始めたのだと説明する。
「母屋は朽ち果てていたので、壁剥がしから始まって、ペンキ塗り、草刈り、水道工事も専門家に協力してもらいながら自分たちでやって、お風呂場も基礎工事からすべて自分たちの力でやったんですよ。面白かった!」
彼女は、困難に立ち向かって克服していくことに喜びを覚える性格に思える。
「東京にいるとあまり自分たちで手を加えるところなんてないじゃないですか。せいぜい電球の球を替えるくらい。こっちに来たら雨漏りも凄いし、庭にオートバイのコースを作っていたら水道管を破っちゃったり、ライフラインはすべて自分たちの手でやらなくてはならないんですよ。何でもスケールが大きくて、野菜畑のためにホースを買ったら七十メートルも必要でした」。
冬は零下二十度まで下がって寒さの厳しさは半端じゃないようである。
「最初に来た時に、雪がドーッと降って何をしたかというと、バイクを一台売って、雪かきのためのパワーシャベルとハイドバン付きの重機を買ったんですよ。自分たちの生活する道も自分たちで確保していかなければならないんですね」。

プラスとマイナスを相殺すると楽しいことの方がいっぱい
もちろん厳しいばかりではなくて、千坪の敷地にモトクロスのコースを作ったり、2kmのトライアルコースを林の中に作ったりしている。林の中のゴミ拾いは、「冷蔵庫や箪笥などダンプで三杯分ぐらいのゴミを捨てましたね」というほど大変だったらしい。東京ではそれほど熱心ではなかったガーデニングも始めて、昨年は、六十種類、今年は二百種類もの植物を植えた。
「食べられる植物、野菜が一番嬉しいですね。去年は無農薬で上手くいって、やったあ!なんて思っていたんですけど、今年は忙しくて手がかけられなくて…」。
清浄な空気、広い空、山から引いてきている美味しい水も健康には良いようである。循環する環境問題にも敏感になり、「石鹸は大地にかえした方が良いといったものを使っているんですよ」。
朝はいつも愛犬の”きゅう”をお供にして1kmぐらい離れた場所まで散歩する。
「ここには本物の自然がいっぱいあるんですよ。周囲三百六十度、風の音、葉ずれの音、虫や小鳥たちの鳴き声などがいっしょくたになって聞こえてきて、それはもの凄いんですよ」
ここまで徹底して都会の生活を捨てるというのも中途半端ではない。寒いのと湿気が多いのと、もちろんマイナス要素もたくさんある。しかし牛舎をコンサートホールに改造する夢や馬を飼う夢など、やりたいことが次々とでてくる。
「生活して大変なことは沢山ありますけど、マイナスとプラスを相殺すると、楽しいことの方がいっぱい残るかな」。
 帰り際になって、霧の合間から富士山がほんの少しだけ姿を見せてくれた。肌がうっすらと赤く染まって赤富士になっている。「明日はがーんと晴れますよ」とレイコさんが明るい弾んだ声で言ったのが印象的だった。

文と写真 柴野利彦

[山村レイコ]

エッセイスト/国際ラリーライダー。一九五七年東京生まれ。十八歳の時に一年間の日本一周ツーリングをし、この時の旅日記がきっかけで、バイクや旅関係のライターに。一九九七年の『パリ〜ダカール・ラリー』では、二部門でクラス優勝。著書に『砂の子』『恋ごころ旅ごころ』共に晶文社、他。

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