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一日十六時問も費やしたオカリナ制作
1975年から85年までは、土をこね、形を作り、自分が吹きやすいように穴の位置を変えたりの探求の日々が続いた。そして(写真のような)機能美を備えた笛ができあがるまでになった。
「最初の十年間というのは、オカリナのことしか考えなかったですね。一日のうち、十六時間ぐらいは作っていました。百本焼いて、そのうち数本しか気に入ったのができない。結果として、現在は十数本使っていますけど、その一本一本の中に一万本が集約されているわけです」
今でこそ宗次郎さんのお陰でオカリナも世間に認知されるようになったが、当時はマイナーな楽器でしかなかった。「世の中全体としては、何やってんの、そんなことまだやってんの? もう時代遅れじゃないのという声もありました。あまり人は振り向いてくれませんでしたね」
それなのになぜオカリナを選択したのだろうか。「僕は不器用なんですね。オカリナの良さというのは、音域の狭いこと。その分、音色の確かさ、魅力というのが詰まっています。本当にシンプルな音の強さ。オカリナは、音色が良くなかったら楽器としての存在価値が無くなってくると思うんですね。土の笛でしか出せない音色を、自分は大事にしたいんです」
いやしを求めてオカリナを聞く人が増えている
オカリナ制作に邁進していた頃は、高度経済成長が続き、大量生産、大量消費、大量廃棄、拝金主義が当たり前の風潮だった。「お金さえあれば何でもできるといった風潮に対して、自分の笛に何か投げかけるものがあると思っていたんですよ」
パブルが崩壌し、不景気が長引き、リストラが横行する時代となって、人々は心底いやしを求めるようになってきた。今、心やすらぐ音楽に人々は耳を傾けるようになっている。
「僕の音が聞きたいと思ってもらえるようになっただけでも、すごくありがたいなあと思います。元々、たくさんの人々に聞いてもらいたいということから始まっていますから」
フォークソング全盛の二十歳の頃には、ギターの弾き語りをしていたことがあるという。「詩を書いて、歌を作っていました。その頃にオカリナと出会って、もう言葉は要らないと思ったんですね.笛の音だけで十分だと思いました。具体的な言葉でなくとも、僕の音を聞いて何か感じてもらえるものがあるはずだって確信しました。言葉が要らないと思ったと同時に詩が浮かばなくなりました」
僕白身が自然そのもの
山小屋風の現在の住居には、陶器がたくさん飾られている。かつて苦労していた時代の同世代の陶工たちの作品である。笛を焼く窯を作る時には手伝いに来てくれたりもする。いろいろな雑誌などに自然との共生について書かれたりしても、自らは意識してそうしているわけではないらしい。農家に生まれ、自然の中で暮らすのは当たり前という感覚なのである。
「僕が自然の中に住んでどうのこうのじゃなくて、僕自身が自然そのものだから、笛を吹けばそれがそのまま風になるんだって、作家の立松和平さんが文章を書いてくれたことがあります」
最後に宮沢賢治が好きだというので訊いてみると、「農民を大事にしていた人じゃないですか。化学者としての知識を農民の生活が良くなるように使い、民衆のために何かをした人ですよね。今の知識人には、そういう人が少ないのではないでしょうか」というのが、宗次郎さんの答えだった。
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