◎オカリナ奏者/宗次郎さん

これまでに自分で焼いたオカリナは
一万本を越える。
その中の気に入った十数本で、
CD制作やコンサートをこなしている。



言葉はいらない、僕の音を
聞いて何かを感じてもらえたら…。




交通の一番不便な場所に昔ながらの日本的な風景が残る

宗次郎さんの住まいまでは、高速の常磐道・水戸ICで降りてから宇都宮方面に向かって約一時間ばかり、のどかな田園風景の中を車で走っていく。
建物や看板といった人工物がほとんど見あたらない、かなり奥まった静かな山村に、こじんまりとした建物が森の中に潜むようにして建っている。すぐ近くのコンビニまでだって、車で数十分は飛ばさなければならないほどのエアーポケットのような場所である。
宗次郎さんは、「都会からかなり遠くて、交通の一番不便な場所なんです。地元の年配の方たちは、落ち葉や藁を積んで堆肥を作っていたりして、不便だから昔ながらの風景がまだ残っているんですね」と、極めて日本的な風景のまっただ中にいることを喜んでいるようである。
千五百坪の敷地は、十数年前にわずか二百万円で手に入れたものとか。
本人と実際に会うまでは、あたかも人間嫌いで俗世間と離れ、長い髪をかきあげながらまるで仙人のように霞でも食しながら生きているのだろうか(失礼!)と勝手に想像していたのだが、意外なもので、宗次郎さん自身は仙人というよりも気の良い酒飲み仲間のように親しみ易い雰囲気を携えていた。

小学校の廃校に住みオカリナを売って暮らした
現在住んでいる茨城県のこの場所に来る前までは、一つ山を越えた栃木県の小学校の廃校で暮らしていたそうである。
「僕が借りたのは一棟、三教室分。職員室と図書室と理科室の三部屋。百二十坪ぐらいかな、床は松の板が一枚でしたから、断熱材も何も入ってなくて冬は寒かった。石炭をいただいてきて、ダルマストーブで焚いていました」
家賃は一ヵ月三千円。花壇だった場所にオカリナを焼く窯を作り、そこで一万本ぐらい焼いたそうである。オカリナを売って生活費を稼ぎ、何とか糊口を凌いでいたらしい。
「市販のオカリナでは、自分が希望するような音が叶えられない。自分の気持ちが湧き出るような笛が欲しかったんですね」
オカリナとの出逢いは、タウン誌を編集していた兄に連れられ、栃木県の山の中にオカリナ制作者を訪ねてから。たちまちその音色に魅せられ、数日後には弟子入りをすることに。
「演奏する人は、楽器をどういうふうに作るのかが分かっていなければならないし、作る人はある程度吹けないと、演奏者がどんなことを希望しているのかが分からないんですね」



一日十六時問も費やしたオカリナ制作
1975年から85年までは、土をこね、形を作り、自分が吹きやすいように穴の位置を変えたりの探求の日々が続いた。そして(写真のような)機能美を備えた笛ができあがるまでになった。
「最初の十年間というのは、オカリナのことしか考えなかったですね。一日のうち、十六時間ぐらいは作っていました。百本焼いて、そのうち数本しか気に入ったのができない。結果として、現在は十数本使っていますけど、その一本一本の中に一万本が集約されているわけです」
今でこそ宗次郎さんのお陰でオカリナも世間に認知されるようになったが、当時はマイナーな楽器でしかなかった。「世の中全体としては、何やってんの、そんなことまだやってんの? もう時代遅れじゃないのという声もありました。あまり人は振り向いてくれませんでしたね」
それなのになぜオカリナを選択したのだろうか。「僕は不器用なんですね。オカリナの良さというのは、音域の狭いこと。その分、音色の確かさ、魅力というのが詰まっています。本当にシンプルな音の強さ。オカリナは、音色が良くなかったら楽器としての存在価値が無くなってくると思うんですね。土の笛でしか出せない音色を、自分は大事にしたいんです」

いやしを求めてオカリナを聞く人が増えている
オカリナ制作に邁進していた頃は、高度経済成長が続き、大量生産、大量消費、大量廃棄、拝金主義が当たり前の風潮だった。「お金さえあれば何でもできるといった風潮に対して、自分の笛に何か投げかけるものがあると思っていたんですよ」
パブルが崩壌し、不景気が長引き、リストラが横行する時代となって、人々は心底いやしを求めるようになってきた。今、心やすらぐ音楽に人々は耳を傾けるようになっている。
「僕の音が聞きたいと思ってもらえるようになっただけでも、すごくありがたいなあと思います。元々、たくさんの人々に聞いてもらいたいということから始まっていますから」
フォークソング全盛の二十歳の頃には、ギターの弾き語りをしていたことがあるという。「詩を書いて、歌を作っていました。その頃にオカリナと出会って、もう言葉は要らないと思ったんですね.笛の音だけで十分だと思いました。具体的な言葉でなくとも、僕の音を聞いて何か感じてもらえるものがあるはずだって確信しました。言葉が要らないと思ったと同時に詩が浮かばなくなりました」

僕白身が自然そのもの
山小屋風の現在の住居には、陶器がたくさん飾られている。かつて苦労していた時代の同世代の陶工たちの作品である。笛を焼く窯を作る時には手伝いに来てくれたりもする。いろいろな雑誌などに自然との共生について書かれたりしても、自らは意識してそうしているわけではないらしい。農家に生まれ、自然の中で暮らすのは当たり前という感覚なのである。
「僕が自然の中に住んでどうのこうのじゃなくて、僕自身が自然そのものだから、笛を吹けばそれがそのまま風になるんだって、作家の立松和平さんが文章を書いてくれたことがあります」
最後に宮沢賢治が好きだというので訊いてみると、「農民を大事にしていた人じゃないですか。化学者としての知識を農民の生活が良くなるように使い、民衆のために何かをした人ですよね。今の知識人には、そういう人が少ないのではないでしょうか」というのが、宗次郎さんの答えだった。


文と写真 柴野利彦

[宗次郎(そうじろう)]

オカリナ奏者。群馬県館林市生まれ。両親と祖父は農業を営んでいた。一九八五年にデビュー。翌年にNHK特集「大黄河」の音楽を担当して一躍脚光を浴び、以後二十枚以上のアルバムをリリース。自然をテーマにした三部作で日本レコード大賞(企画賞)を受賞。

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