◎絵本作家・画家/田島征三さん

進行性の胃ガンにかかり、
伊豆で療養生活を送りながら
新しい木の実を使った絵本や
大作のコラージュ作品と取り組んでいる。



今やっとたどり着いた地平。
木の実のコラージュとの運命的な出合い。




毎日一時間半の散歩。途中で木の実を拾う

 これまで精力的に絵本や絵画の制作と取り組んできた田島征三さんだが、三年ほど前から伊豆で療養生活を送っている。胃ガンの手術をした後、夫婦でともに画家の谷川晃一さんと宮迫千鶴さんの「住む家を捜してあげるから、こちらにおいでよ」という誘いにのってやってきたのだ。療養のために毎日約1時間半の散歩を欠かさない。一緒に散歩コースのお供をすると、次々にこれはエノキの実、ガマズミ、ミズキ、キブシは狐のカンザシともいいます、と教えてくれる。途中、木の実が落ちているとリュックサックからビニール袋を取り出して拾い集める。画材として使うのである。肩を並べながら歩いていると、「海を見ながら散歩すると、すごく心の安らぎを覚えるんですよ」とつぶやく。高知県で育ち、高校時代には坂本龍馬の銅像のある桂浜で「太平洋に向かってバカヤローと叫んだりして、青春の辛さを慰めてもらっていましたから、海が見えるというのは本当にいいですね」。二十代の頃、伊豆に住みたいと思っていたそうである。「あの頃は往復の汽車賃が大変なので、伊豆ではなくて日の出町を選んだんですね。日の出も処分場ができるまでは本当にいい場所だったんですよ。処分場ができてからは灰が飛んできて、それで病気になったんだと思っているんですけど、集落全体のガンの死亡率は全国平均の数倍にものぼります」

トラスト運動がきっかけとなった木の実のコラージュ
 日の出町の処分場建設の反対運動を奥さんと一緒に引っ張ってきた田島さんだが、トラスト運動をしながら森の中に入り、そこでいろいろな木の実と出会うことによって、後日、木の実のコラージュ作品となって結実することとなる。処分場を建設するために、「建材として使える木はチェーンソーを使うんだけど、何百年と経った山桜でも切り倒される。花ミズキ、ウワミズザクラなどの無価値と思われる雑木はパワーショベルでベリベリと引きむしり、ねじって捨てていくんですね。森が悲鳴をあげている。昆虫や鳥など、どれだけ多くの生命を育んでいることか。僕は物を創る人間として、目で見た怒りと悲しみの鎮魂歌を表現したいですね」




モクレンの実二千個、カタツムリの殻五百個を集めた

 今年の五月には、木の実を使った作品の個展を開いている。手漉きの和紙を使った百五十号ほどの作品も三点制作した。それには伊豆に滞在している間に集めたモクレンの実二千個、山桜の実数千個、3年かけて集めたカタツムリの殻五百個などがコラージュされている。「ここではいろいろな材料が手に入ります。コナラ、クヌギ、エゴノキ、カゴノキ、マツボックリ、タイザンボクなど、それらをくっつけて、作品にしていく仕事というのは、ただ愉しいだけじゃなくて、僕がかいくぐってきた植物や小動物たちの地獄とか怒りや悲しみの表現。そういうやらなければいけない仕事をやらさせてもらっているんですね」。田島さんは、ただ材料として木の実を面白半分に使っているのではないと強調する。それは木の生命を考えることであり、森全体の生態系を考え、ひいては地球環境の問題につながっていくと熱っぽく語る。「形の面白さというのもあるんですけど、やたらと拾っちゃいけない木の実もあるわけです。ドングリはタヌキやリスなど小動物のエサですから、とってはいけない。草の実にしても木の実にしてもどういう小鳥や動物たちのエサになっているのか、見極めながら拾わなければならない。人間も生態系の中で生活しているという自覚をもつ必要があります」

新しい画風作りに挑戦
 田島さんの絵本作家としての受賞歴は華やかそのもの。二十歳の時に『全国観光ポスターコンクール』で特別賞と金賞を受賞。「無名の学生でしたから、有力候補を抑えてすごいことだったと思います。自信満々でした」。二十七歳の時に作った絵本『ちからたろう』(世界絵本原画展金のりんご賞を受賞)が爆発的に売れて世の中に認められた。
「お金も入るようになったんですけど、その時に考えたのが、それまでの画風を捨てるべきだということでした。いちおう絵本作家として成功したわけですから、それで一生食えますよね。だけど僕はそれを徹底的に捨てて、また新しい画風の『ふきまんぷく』を作って、講談社出版文化賞をもらいました。それから『やぎのしずか』がすごく売れて、それがまた売れたことで自分はこれじゃダメだと思って、次の画風にいったわけです。やっと新しい画風を作って発表したわけですけど、とにかくそれは絵本といえるようなものじゃないって、世間からごーごーと非難されました」。次々と自分で作った画風を壊してまた新しい画風に挑戦し続け、「いつも挑戦し続けているので血みどろですよ」と振り返る。

六十一歳とは思えぬ少年の面影
 そして今、自分がたどり着いた地平を淡々と話してくれた。「若い時には、一つの作品を作ったり発表したりする時に、こうすれば認められるとか、こうすれば世間はどう反応するだろうかとかいったことがすごく気になったんですけど、今はそんなことはどうでもよくなりました。自分はとにかくこういうのを作りたいという気持ちの方が大きい。幼少時代からずっと続いてきた植物との係わりが、今の時点にたどり着いたんだなという、感動にも近い運命的なものを感じています」。実は田島さんをインタビューするのは、これで三回目である。相変わらず日本各地で開催されている個展や講演会、原稿の執筆、絵本制作と病気の体にムチ打つ忙しさである。そしていつも気取らずに思い切ったことを歯に衣着せずして発言する。六十一歳とは思えぬほど初々しい少年の面影を残し、頑固一徹の姿勢を貫いている。「まだまだやりたいことが沢山あるのに、最近は疲れやすくなって・・・」とふと洩らした一言が、とても心に引っかかった。

文と写真 柴野利彦

田島征三(たしま・せいぞう)

絵本作家、画家。1940年大阪生まれ。映画「絵の中のぼくの村」の原作者。長編記録映画「まひるのほし」では、撮影監督を努めている。「世界絵本原画展金のりんご賞」「講談社出版文化賞」「ポローニャ国際児童図書展グラフィック賞」など数々の賞を受賞。

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